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EPA とは、経済連携協定( EconomicPartnersh pAgreement)のことで、複数国間で人材の移動や投資など、幅広く経済関係を強化するための取り決め。日本とインドネシア、フィリピおよびベトナムとの間で締結されたEPAに基づき、看護師・介護福祉士候補者の受入れがスタート。インドネシアからは平成20年度、フィリピンからは21年度、ベトナムからは26年度から受け入れが始まっている。平成25年の介護福祉士国家試験では、EPAに基づく外国人介護福祉士候補者のうち、128名が合格。合格率は45.8%(前年比 +8.6%)。
2人は同時にEPAで来日し、2人して介護福祉士国家試験に合格。
私は、EPA第2期の介護福祉士候補生として平成21年にインドネシアから日本に来ました。インドネシアでは看護師をしていましたが、友人の勧めもあり候補生に応募。幸運にも合格することができました。
看護師の仕事は安定していたため家族には反対されましたが、先進的な技術と機器がある日本で学んでみたいと強く願ったことと、EPAがしっかりした制度であることを家族に納得してもらえたことで来日。家族には「3年くらい勉強してから帰るよ」と伝えていましたが、現在で6年目になります(笑)。
私は現在東京の介護老人保健施設に在籍しておりますが、この施設を志望したのは、「北の方は寒くて暮らしが大変そう」と思ったからです(笑)。今思うと、その選択が私にとってとても幸運でした。
当センターの方々は、仕事以外にもさまざまなサポートをしてくれました。当センターに来たときは、みなさんで声を掛け合って不要な家具や食器などを持ち寄ってくれました。また、ラマダンという断食期間中には、断食が行われる昼間の勤務を少なくして、夜勤のシフトを増やすなど、たくさんの配慮をしてもらっています。
今ではチームリーダーとして、チームをまとめながら日々の業務を行っている。
来日してからしばらくは、介護助手として食事・入浴・排泄の介助や環境整備などの基本的な仕事を学びながら、空いている時間に国家試験のための勉強をしました。並行して日本語の勉強をしなければならなかったので、とても忙しかったです。
日本に来てもっとも大変だったことは、利用者さまとの日本語でのコミュニケーションでした。その時にも、当センターからはたくさんのサポートをもらいました。週2回ほど日本語の先生を呼んでもらいましたし、当時の事務長とは毎日の出来事を交換日記で報告して日本語力を養いました。
その成果もあって、1年目に日本語能力検定のN3レベル、2年目にはN2レベルに合格。おかげで利用者さまとのコミュニケーションも問題なくとれるようになり、日本語で出題される介護福祉士国家試験にも、平成25年の春に無事合格することができました。
現在、中堅スタッフとなり、施設からはリーダーとしての役割を期待されています。マネジメントに関する研修で学ぶ機会も増えましたが、まだまだ学び足りないと思っています。後輩たちに堂々とアドバイスできるようになりたいです。いつかは、インドネシアに戻って、ここで学んだ介護知識やマネジメントスキルを生かした仕事をしたいですね。
屋上ウッドデッキでケアする様子。